| +++ ZERO +++ 〜3〜 |
| その夜、誰しもがやっと得たささやかな安息の時間を貪っていた頃、ひとつの長 い影が静観な屋敷に滑り込んだ月明かりとともに甘やかなダンスを踊っていた。 細く、また薄いその影は気を逸らした瞬間にでも淡い光に溶け消えてしまいそう な程儚い感じがあった。 その影を生み出す源は、2階のホールにある出窓に腰を落ち着けて、まるで春の 夢が置き忘れた欠片のようである。 だからだろうか……。 夢にさせない為にも、ふとその肩に手をかけてしまった。 「なんだ、眠れないのか……?」 手から伝わる僅かな熱がこれは夢ではないとやんわりと伝えてくる。 伏せられた長い睫毛がふるりと震えるとその隙間から強い光が溢れ出てきた。 「貴方も……か?」 「クリストファー……クリスでいい。」 他人行儀な言い方が気に入らなかった。 だから応えた声は少し強かったかもしれない。 「……。」 彼は無言のまま軽く頷くと瞳に凝る光をぼんやりと闇に沈む外界へ向けた。 しばらくそのまま静かな時間が流れる。 「どうするつもりだい?」 何がとは言わない。 「さぁ?」 そして、返る応えもそっけない。 「弟の言い分も分かってやってくれないか。」 「分かるも何も、俺たちは傭兵だ。」 そう言い切った彼だが、軽く頭をふるとこう訂正した。 「いや、少なくとも俺はな。」 「ん?」 その意味をはかりかね、次の言葉を待つ。 「自分が何かは自身で決める事だから。」 あぁ…と納得したとクリスは頷くと、はかりかねたのは彼が自分の意図を読み 切ってなかったからだと理解った。 きっと彼は自分達の言葉通りを解しているのだろう。 全ては彼女の為に……と。 でも、それをわざわざ教えてやるほど優しくはないのでそのまま話を続けていく。 「もうイライザから報酬は受け取っているのかい?」 基本的に傭兵というのは金で動く。 恐らく、イライザと彼らの間にもそういったやりとりがあったはずである。 特に脱走兵である彼らは、もっとも経済的窮地に陥っているはずだ。 今は喉から手が出るほど……仕事の内容を吟味している余地はないのだろう。 しかし、帰ってきた短い応えは予想に反するものであった。 「是とも非とも。」 「また、曖昧だな〜。」 彼に向かい合うように座り込んだクリストファーは、人懐っこい笑みを浮かべて 彼の様子を伺っていた。 それに付き合ったのかどうかは分からないが、口数の少ない彼が再び口を開く。 「ただ……。」 そう、形の良い口が型取るとさらりと細い指が前髪を掻き上げた。 琥珀の塊がクリストファーの姿を捉える。 「傭兵というのは金以外の何かで動く場合もある。」 初めて射すくめられたような気がする。 左の胸に古傷のせいではない鈍い痛みが走り、クリストファーは思わず息を飲んだ。 これはどうやら、彼女と彼らの間にどんな契約がなされたのか分からないが、彼ら は命の危険をさらしても等価の…否それ以上の報酬を受け取れる事になっている らしい。 もちろん、命あっての報酬なのであろうが彼らはその自信があるようだった。 それは一体どこから出てくるのか……今まで以上に興味が湧く。 「弟から聞いたとは思うが、ファンデルシアはデュルクハイムの支配下だ。」 目の前の麗人は繰り返される言葉の数々をまっすぐと見つめたまま静かに聞いている。 「そして、君たちはそのデュルクハイムの脱走兵というプレミア付だ。 それだけでも命を狙われる理由は十二分にあるのに、占領地の元領主の娘を警 護し無事敵地から脱出する可能性の限りない低さを君なら分かっていると思うがね。 どうだい?」 何か心当たりでもあるのか…と暗に聞けば、彼はふうわりと微笑んでこう返してきた。 「ひとつ、確認したい事がある。」 「ん?」 「ファンデルシアは無血開城されたのだな?」 どんな凄い事を聞いてくるかと構えていたクリストファーは、あまりにもの質問 の軽さに拍子抜けしてしまう。 それが災いしたのか、つい即答してしまった。 「そう聞いている。」 もう少し駆け引きを楽しみたかったのだが、それもニヒルに笑う彼を見られた事 でどうでもよくなってしまう。 それはそれ程に魅力的だった。 「それで十分だ。」 しかし、どうでも良いというのはこの場合今を楽しむ時間の事であって彼が問い たい核心ではなかった。 だから、これ以上はぐらかされぬよう、彼の肩をしっかりと掴み捉えると、強い 声音で問いつめた。 「本当に生きて帰って来られるんだな?」 彼は掴まれた肩の痛みからか、それとも、空気の流れが変わった事にか、どれに 反応したのかは分からないが、ピクリと身体を震わせた。 それでも、視線だけは外さず、変わらずまっすぐにクリストファーを見つめている。 「……帰路で何か起きなければな。」 掠れた声でそう短く応える彼にクリストファーは呆れたとように首を傾げた。 「帰りの心配だけかい?」 だから、そう意地悪に問い返すと、彼はクスリと笑ってこう切り返してきたのだった。 「往きは、クリスが付き添ってくれるのだろう?」 「あはは、アテにするなよな。」 それにはさすがに笑いを抑えられなかった。 さすがに深夜でもあるので音自体は抑えたのだが、クツクツと喉の奥でわだかま りが鳴りやまない程である。 だが、それは束の間。 急にその音がかき消えると、掴んだ肩により力を入れ己の方へとぐぃと引き寄せた。 不安定な姿勢で座っていた彼は簡単にクリストファーの力に引かれ、その美麗な顔 を彼の肩に預けることになる。 「死ぬな……。」 自分でも何故そう言ったのか、はっきりとは理解出来ない。 ただ、自然と口から漏れていた。 「まだ、な。」 それはどういう意味だったのか……残念な事に肩に顔を埋めている彼の表情を伺 うことが出来ない。 ただ、彼はそう言葉を残すと呆けているクリストファーの腕から易々と逃れ、仲 間が待つ部屋へと去っていったのだった。 残されたのはクリストファーはというと、自身を庇うようにゆっくりと膝を折り 曲げる。 まだ、ちくりちくりと疼く胸が疎ましい。 あの時から何もかもを諦めたつもりだった。 これ以上、失くせないものを増やさないよう、出来うる限り軽率に生きてきた。 誰も信用させず、誰も信用せず。 それを見抜く者も居るには居たが、どれも旧知の仲であり今更というのもあった ので気にはしていなかった。 人が立つ足場とはなんと脆く儚いものか……。 たった一度の油断と敗北が自分の命に大きな楔を打ち付けた。 それまでの人生に波風のなかった身としては、全てを捨てる覚悟を持つまではそ れ相応の苦悩と時間を費やしてきたものだが……。 「これだけは譲らない……。」 譲れるわけがない。 いつ途絶えるか分からない危うい人生の中、これくらいは許されてもいいだろう。 たった一つくらい最愛の弟よりも、何より自分の命より執着していいものを独占 しても…。 弟・アルフォンスが何故彼にイライザの護衛を止めるように言ったのかその真の 意味は恐らく自分と同じだろう。 もちろん、お互いイライザの身が心配ではあるのだが、それよりも大切な者が出 来てしまった事が理屈ではなく本能がそう伝えてくるのだった。 それはきっと、アルフォンスもそうであろう。 クリストファーは、身体の中に隠った濁った息を入れ替えるように大きく溜息をついた。 まさにその時。 「兄さん……。」 満月のせいか差し込む月明かりが作る影が一段と濃い場所から、山びこよりもはっ きりとした声音が近づいてくる。 「おお、我が弟よ。お前も眠れないのかい?」 いつもの戯けた仕草でアルフォンスを迎えると、光の下へ出た同じ顔がはっきり と嫌悪の色を浮かべて佇んでいた。 「盗み聞きとは頂けませんね。」 眉間に出来た深い谷間には、昼間のアルフォンスと彼……クレヴァニールとの会 話を退くフリをして外から盗み聞いていた兄の事をはっきりと責めている。 「それはお互い様だろう、アルフ?」 クツリと嗤うクリストファーの綺麗に跳ね上がった唇の先には、先程までの会話 を死角からこっそりと聞いていた弟の存在に気付いていた事を乗せていた。 絡み合う視線はまるで剣を交えている時のそれに似ていると、二人は互いに苦笑う。 そのまま静かな交戦暫く続いたが、ふぃとそれに終止符を打ったのはアルフォン スの溜息であった。 「やはり彼は行くんですね、ファンデルシアに……。」 「なんだ、イライザ一人ならいいのか?」 「兄さん!!」 「いやいや、冗談だ。」 クリストファーの質の悪い冗談に怒りに近い感情の嵐を拡散する為にアルフォン スは大きく頭を振る。 「…………厄介だな。」 怒り・苛立ち・焦燥・絶望……。 言わずとも伝わる感情は、一見便利なようではあるが実際には不便極まりないのだ。 特に負の感情は酷く伝わりやすく、お互いを苛んでいく。 これにはさすがにクリストファーも笑いを収め、まともにアルフォンスと向き合った。 「彼は、ミュンツァー卿を退けたほどの実力の持ち主ではありますが……。」 それを彼に語って聞かせた時のミュンツァーの渋い顔を思い出す。 基地の司令官を失い途中で指揮を代行した士官も優秀であったが、先頭に立って 切り込んできた彼は見事だったと……。 無駄な動きがなく、長期戦にも耐えうるよう相手の力を利用しながらの切り返しな ど一介の兵士にしては過ぎる能力。 後方援護している弓兵の少年との連携も目を見張るものがあると敵ながら感心さ えしていたのだ。 それでもだ。 今回ばかりはそれも……。 「だが、あの感じじゃ、向こうさんに何やら心当たりがあるようだぜ。」 言い淀むアルフォンスにクリストファーは何かを探るような視線を投げる。 アルフォンスもそうだが、クリストファーは彼以上に勘がよい。 否、勘だけではなく全てにおいて弟より勝っているという事はほんの一握りの人 間しか知らない事実。 「というと……?」 アルフォンスは兄のその一言で思い出した事があった。 確か……あの時、代行した士官の名は………。 「可能性としてはあの地を仕切っている司令官。」 そしてあの地を被害を出すことなく占領した司令官は……。 「ふむ、調べてみる価値はありますね。」 「惚けやがって。出来た弟の事だ、既に調査済みだろうが……。」 「兄さん、それはあまりにも僕を買い被りすぎですよ?」 だが、その偶然の一致が一体何になるのだろうか……。 今は追われる側と追う側に別れている彼らがその壁を超えて手を取り合うなど、 ましては一介の元兵士と士官が……と考えると楽観視なぞ到底出来はしないのだ。 「まぁ、いいさ。」 なかなか手を見せない弟の頑固さには兄であるクリストファーも苦笑したが、こ れ以上の会話は無駄だと思い、早々に切り上げることにした。 困った事に言葉でどれだけ飾っても、非科学的な伝達は止められようになくお互 いの顔には皮肉な笑みが零れている。 同じ者を奪い合うなら絶対に貴重なカードは見せない。 手の内をよく知っている相手だからこそ、尚更。 「なんにしても、彼らが動かないとなればあとはイライザしだいだ……。」 「……。」 「朝が楽しみだな。」 しかし、それに応える声はなく、クリストファーは再び何やら考え込み始めた弟 を尻目にひらひらと手を振るとさっさと自室へと足を向けたのだった。 そして残されたアルフォンスはというと、今だその強さを変えない月明かりの中、 今だ答えの出ない思考の迷路を彷徨っていた。 彼らが無事、ファンデルシアからヴァルカニアへ脱出出来る保証はまったくと言っ ていいほど「ない」。 万が一、ファンデルシアを無事脱出出来たとしてもだ。 イライザが力説する遺跡も、十中八九、モンスターに侵食されていることだろう。 そして遺跡にはモンスター以上に、その仕掛けもくせ者である。 それに……彼ら脱走兵にかかっている追手も気になっていた。 恐らく、ヴァルカニアを発つまでは兄がサポートするので大丈夫であろうが、そ の先は彼らはたった3人の戦闘能力でデュルクハイム本隊と賞金稼ぎ、モンスター を相手しなければならないのだ。 これを不安にならずにおれようか。 しかし、これはもうどうにもならない事だと理性の大半は訴えている。 そのどうにもならない事が無性に腹立たしく、そして、これ程までに兄が羨まし く思える自分にアルフォンスは軽く自己嫌悪を感じていた。 理不尽な感情の数々をどうにか抑える為に、アルフォンスは大きく息を吐く……。 それから最後の役者はくるりと舞台に背を向けると、重い足取りとともに幕の中 へと消えていったのだった。 |
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