+++ next door+++

〜2〜








「何だ…これはっ!?」
少し触れただけの黒い靄のようなモノ。
それは見る見るうちに全身に広がり、身体も心も凍らせていった。
そして、それに比例するかのように意識が遠ざかる。
何も考える時間もありはしなかった。
ただ…。
最後に見たのは白黒灰の羽の乱舞。
それが、まるで真綿で包む様に自分を優しく擁いたように感じた。



暖カイ…。



それは自分が凍えているのを知っているかのように、身体中に広がった冷気を追い出して
いってくれた。
しかし、一度堕ちた意識は坂道を転がるように止まることを知らない。



「………………卿っっ!」



そう呼ばれてほんの片隅の意識が頭をもたげた。
部下か?



「オーディネル卿っっ!」



いや、違う。
これは、そう…。
彼だ!
この世の中で一番、この呼び方をして欲しくない人。
だけれども、立場がそれを許さない。
人間が勝手に決めたその位が自由を束縛していた。
でも、今なら…、ここなら言えるだろうか?
どうせ、暗闇しかないここでならば、誰も聞いてはいないだろう。



「ダメだよ…それは、ダメだ。」



そう、兄さんと同じように呼んで?
だって、君は兄さんだけはこう呼ぶじゃない…、…「クリス」って。
そうでなきゃ、応えないよ?
このまま、永遠に君の手の届かないどこかへ堕ちてしまうよ?



「……フ……スっっ!!」



まだ…もっと大きな声で…。



「アルフっっっ!!!!!」



ああ、やっと叶った。
でも贅沢を言うならば、陽の当たる世界で聞きたかった…。
ここは暗くて、冷たくて…。
だからこそだろうか。
余計に嬉しさや喜びや…愛しさがこみ上げて来る。
何も見えないけれど、手を伸ばせば君の手に触れるだろうか。
闇に全てが溶けきるその前に。
ほんの少しでいい…君の温もりを…。
その時、宛てもなく伸ばした手の首をしっかりと握り締めた手があった。
そこからの痛みは感じないが、不思議なことに酷く胸が締め付けられる。
切望しながらも得られるはずのなかったその温もりに、泣きそうになった。
ああ、彼の手だ。
戦いの中で僅かに何度か擦れるように触れたその繊細で力強い手。忘れるはずが無い。
それにしても、どうしてだろう…。
ここは絶望の果てだと思っていたのに、現実より甘やかで。
もう何も要らないと一瞬そう本気で思った。
こんな理不尽な果て方をしようとも、望みが叶えられたのならそれでいいと…。
しかし、握り締めた手がそれを赦さなかった。
どうにも欲した温もりが、彼の意思とは正反対へと誘っていく。
その手は少し…否、かなり怒ったように。
そしてこの時始めて痛みを感じた。
それは手首から徐々に全身へと広がり始める。
そう、引き上げようとする力と堕ちようとしている力の摩擦に全身が千千に砕けそうな…。
「くっ…!!」
あまりにもの激痛につい呻きが口をついてでた。
それでも、その手を離すことは出来ない。出来るはずが無い。
やっと手に入れた、血のつながりよりも、信念よりも大切なそれを…。
例えそれが泡沫の夢幻だとしても…だ。
痛みは変わらず襲ってくる。
闇はただそこにあるだけであるはずなのに、それは自分を引きとめようと細胞の一つ一つ
に楔をうつように侵食してくる。
しかし、彼の手はそれを赦さないとでも言うかのように更に加速度を上げていく。
既に瞼は度を超える苦痛にきつくおろされていた。
どうせ、開けていたとしてもこの深淵の闇では何も見えやしない。
それにしても、あと、どれくらい続くのだろう。
そう痛みを紛らわせるように思い耽る心の中、ぼんやりと周りが明るくなってきたように
感じた。
「っっ!?」
そして、それと同時にあれ程苛んだ痛みが急速に和らぐ。
それはまるで、光の波に押し流されるように。
しかし、身体は今だその速度を落とすことなく上昇を続けている。
やがて…。
「よう色男、気がついたか。」
眩しいまでの光は白い波へと変化していった。
だらしなく投げ出された我が身を覗き込んでいる男が一人。
まだ視界に薄く靄がかかったようにはっきりしないので、何とか取り戻そうと重い瞼を激
しく瞬きさせてみる。
白い服…白衣? 医者だろうか…。
しかし、現状、砦に医者がいるわけはない。
すると、自分は敵に捕らわれ移動さされたのか、それとも味方の手によるものか。
それさえも確かめる余裕のないアルフォンスは、
「ここは…?」
と、最もでかつ無用心な質問を相手に投げかけたのだった。
「バルトリック砦さ。」
白衣らしきものを着た男は間を置かずしてそう応えてくる。
「砦?」
「そうさ、お前さん、覚えてないのか?
 お前さんは砦攻略中に倒れたんだとよ。」
それから男は簡単に知る限りの経緯を話し始めた。
「ともかくだ。俺は医者でだな…、意識が戻らないお前さんを心配したメイフィールドの
 お嬢ちゃんが俺をここに強制的に連れてきたわけだ。」
そうやって男と話している間に少しずつだが視界も思考もはっきりとしてきた。
「連れてくるといっても、オーディネル支配下の街は随分と遠いはずだし、国境越えなど
 していたら命がいくつあっても足りないはずですが…。」
そんなに長い間、眠っていたのだろうか…。
「ああ、お前さんとは初対面だったな。
 俺はディライン。クレヴァニール達の街で医者をやっている。
 そうだな…ここへ簡単に来れたのは・・・・・まあ、企業秘密だな。」
企業ではないのだが、隠したい事に使う言葉としてこういう言い回しは非常に便利である。
「簡単? 私は一体どれだけ眠っていた?」
「ん、せいぜい3時間ってとこだな。」
「そんなに…。」
「おいおい、そんなに…って。俺としては非常に短すぎると思うのだがね。」
「砦は? 魔導砲は!?」
「んあ? 俺は医者だから詳しいことは知らんが。
 ここ自体はお前さんの部下がしっかり守っているようだぜ。」
確かにそうでなければ、こんなに静かではないし、まず、のんびりと医者と会話なぞして
いられないはずである。
「魔導砲は、あいつらが何とかしているところだろうよ。」
「では、クレヴァニール達は…。」
「ああ、俺が到着するのと入れ替わりに出て行ったぞ。」
まるで俺から逃げるようにな…と、ディラインは意味ありげに笑い、
「お前さんの部下達はかなり優秀だし、前線から離れている訳じゃない。
 とりあえず、取れる休息はとっておけ。」
とそう付け加えると俄かに騒がしくなってきた外へと足を向けて行った。
そう、まだ砦内外を問わずして負傷者は多数いる。
とても軍のヒーラー部隊だけではどうしようもない状態なのが現実だった。
魔法は外面上の傷は癒せても、内面についた見えない傷を癒せはしない。
人間というのは厄介なもので、心というものが傷つくと動けなくなる動物なのだ。
ディラインは、実のところそういう分野…精神医学は苦手な方ではあった。
しかし、これから未来の事を考えると、
「ふっ、お前はお前が理解している以上に優しい男だよ…。」
そう、別れ際に投げつけて行った彼女の言葉を信じてみてもいいかと思い始めていたのだった。
魔法のない未来、そんなものが本当にやってくるのかはまだ分からない。
だが、彼らと彼女はそう信じて自らの全てを賭けている。
ならば、それを共に歩むのも悪くはない。
たった一人の医者が何を出来る訳ではないであろうが、兎も角ここに居る負傷者の命を繋
げる事は出来るであろうし、ここ当面、自分の雇い主の懸念に応える事が出来るのは確実だ。
そうして、男は軽く口の端を上げると自らに用意された舞台へと上がっていったのであった。











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