| 祈ることは好きではない−−−。 いつからそうなったのかまでは思い出せないが…。 あまりにもの実益のない行為に時間を潰すのは馬鹿馬鹿しいことは確かだった。 だが−−−、 今は君の為に祈り続けよう。 君も見ているであろう、この紅い月に向って−−−。 Bloody Moon 〜 side-Roy エルリック兄弟と護衛のアームストロング少佐が旅立って既に三日が経った。 「傷の男」を追ってきたヒューズ中佐も既に中央(セントラル)に帰還して、一見、ここ東 方は平穏な日々が訪れたように見える。 しかし、兄弟たちが遭遇したという「怪物」たちが引き起こしているであろう事件の数々 がいまだ未解決のまま日毎その数を増やしていっていた。 最初は、数人単位であった行方不明者も今ではそれが村単位で発生するほど規模が大きく なってきている。 だが、被害件数が増えるに従って手がかりのなさもまた増え続け、軍は更に辛い立場へと 追い込まれていっていた。 そして、ここにも…。 「−−−大佐、これが終わりましたら1時間程仮眠をとられては…。」 「ああ、そうさせてもらうとしよう。」 本日、もう既に両手では数え切れないほどに新しい湯気をあげているカップを手に、ホー クアイ中尉が声をかける。 ロイは長いデスクワークにすっかり固まった身体を出来うる限り解しながら、最後の一山 に黙々とかかり始めた。 この男、普段からしてさぼり癖があるのは有名なのだが、どうやらやる時はやるようである。 「そういえば、中尉。 ハボック少尉から連絡は無いか。」 「いいえ。今のところは…。」 ふとそれに何か思うところがあったのか、中尉も時計を見上げた。 そろそろ村に到着していてもいいと思うのだが、少尉からの連絡はいまだない。 不確定な噂であったが、兄弟達の情報によりあながち噂も無視出来ないと踏んだ大佐が、 少尉を偵察に向わせたのだった。 −−−村の近くで怪物を見た… 小さな村で起こったそんな根も葉もない噂も意外にこの東方司令部まで届いてしまうのである。 もし、これが兄弟が帰ってくるまでなら、ロイも一笑していたに違いない。 だが、別件で訪れていたリオールの神殿で兄弟が見たという怪物と今、東方を騒がせてい る謎の失踪事件の容疑者である怪物が酷似していることから、このようなちょっとした噂 でさえも見逃せない状況になってきている。 それは目撃者の生存率が低い事も起因していたのであった。 軍の中では、国家錬金術師である「鋼の錬金術師」が唯一その目撃者となっており、ロイ としてもこれ以上手を拱いている訳にはいかないのである。 「で、少佐の方からは?」 ロイが最後の一枚にサインを施す。 「はい、そちらは先ほど連絡がありました。 明日、こちらへ戻るとのことです。」 「…思ったより随分と早いな。」 壊されたエドワードの右腕はそれこそ跡形もなく…という程である。 修理というよりは一から作り直さねばならない状態のものをたった数日で終わらせてしまっ たという事は…。 「…目に浮かぶようだな。」 恐らく、かなり無理を言ったに違いない。 しかし、それを現実に叶えてしまうとは…ロックベル家の技師達の腕は相当のものである に違いなかった。 いや、何より、あの兄弟達へ注ぐ愛情の大きさとも言えようか。 思わず、苦い自嘲いがこみ上げてくる。 「でも、良かったではありませんか。 この状況では、一刻も早く、少佐やエドワード君たちに復帰してもらわないと…。」 とにかく、今の軍部には正直、能力のある人出が不足していた。 特に「傷の男」のせいで、単独行動が出来る国家錬金術師が激減してしまっている。 だが、ロイの表情は難いままであった。 エドワードが旅立つ前夜の事件。 恐らく、あれが「謎の怪物」なのだろう。 あれは軍部の中枢に単身で乗り込み、エドワード個人を簡単に狙ったのだ。 確かにあの時は彼自身も負傷しており、錬金術を使える状態にはなかったのだが、これ以 上彼らをこの事件に巻き込むのはどうかと思う節がなくもない。 特に行動に「慎重」という言葉を知らない兄エドワードだからである。 「『身長』という言葉には恐ろしいほど敏感なのだが…。」 そう一人ゴチるとロイは大きく息を吐いた。 これで当面、そう少なくとも1時間程は書類と睨めっこせずに済む。 「ご苦労様でした。 それでは1時間後…。」 中尉は決済の済んだ書類を綺麗に纏めると、早足に執務室を退出していった。 ロイは誰も居なくなった部屋で大きく伸びをすると、ぎしりと音をたてて立ち上がる。 仮眠室へ行こうかとも考えたがたかが1時間、それもボードワンに向ったハボックの連絡 しだいではすぐに起きなければならない。 幸いにも気の利いた優秀な部下は上司が静かに過ごせるよう人払いまでしてくれているよ うだ。 それならば…と今は無駄にスペースを空けているソファにごろりと横たわった。 それなりにクッションの利いているソファは意外にも寝心地が良く、エドワードもよくこ こでうたた寝をして過ごすことがある。 そんな事をぼんやりとした頭で思いながら、くぃ…と頭を巡らせて見ると、窓には大きな 月が地上を仄かに照らし出している姿が映っていた。 この光は遠くはなれた彼の上にも変わらず降り注いでいるのであろう。 今頃、どうしているだろうか…。 束の間の休息を楽しんでいてくれればいい…という親心と、そこに自分が入ることが出来 ない嫉妬とで心のどこかが派手に軋みを上げていた。 そう、まだほんの数日だ…。 いつもなら、何ヶ月も逢えないどころか声も聞けぬまま過ごすこともある。 何せ、物臭なエドワードは軍が召喚しなければ報告書さえも郵送で済ませてしまうのだ。 電話に至っては緊急でない限りするはずもなく、いつも弟のアルフォンスが気を使って現 在地を知らせてくれる程である。 もう随分それに慣れたはずであったのだが…。 だが、今のこの寂しさは一体何だと言うのであろうか? 何があった訳でもない。 ただ、いつもより厄介な事件を抱えている他には変わらない毎日であるというのに…。 ましてや、この腕に抱いて眠ったのはつい最近のこと。 それなのに、そのぬくもりが随分と遠い過去にあるような気がしてくるのは…。 「エドワード…。」 月に問いかけてみる。 「何を隠している?」 しかし、それに応える声はなく、彼の意識も急速に深い闇へと沈んで行ったのであった。 *next*
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