| 揺り籠のように列車が揺れる。 それが誘う眠りに抗うことは到底難しい。 しかし、眠りを知らぬ者とそれを許されていない者はただ流れる車窓を黙って眺めていた。 ───人の人生をよく列車の旅に例えていう事がある。 では、彼らの行き着く先は一体どこなのだろうか? 道標の無い旅の終わりは───。 その時、君は、この腕に戻ってきてくれるだろうか? The crescent of the invitation 「お疲れ様でした、少佐。 お出迎えも出来ず、申し訳ありません。」 東方司令部について早々のこと、マスタング大佐の執務室の手前でホークアイ中尉が深々 と頭を下げた。 「いや、ホークアイ中尉。今はそれどころではないだろう。」 実際問題、ここ東方司令部はとてもじゃないがそんな余裕はないに等しい状態が続いている。 それをここ数日滞在しているアームストロング少佐も、隣に佇むアルフォンスもよく熟知していた。 特にアルフォンスは軍人ではなく、逆に出迎えがあったりすると酷く恐縮してしまうのである。 既に時間は夕刻。 いくら24時間体制の軍部とはいえ、いつもなら必要最低限の人間だけしか残ってはいない。 しかし、ここまで辿り付くまでに顔見知り否も含めて数え切れないほどの軍人とすれ違っ ているところを見る限り、事態は良くなるどころか悪化の一途を辿っているのだろう。 この先にある部屋の主のご機嫌が最底をついているのは容易に想像が出来るというものである。 アルフォンスが困ったように兄を見やると、当のエドワードも渋い面持ちで立っていた。 機嫌の良い時の嫌味ならまだ良いが機嫌の悪い時のあの遠まわしな八つ当たりは始末に負 えないことをエドワードはよく知っている。 そして、それをまだ上手く往なせない程に子供な事を自覚し腹立たしいとも思っていた。 そんな事をうつらうつらと考えていると、優しい声が耳元にふわりと入ってくる。 「エドワード君もアルフォンス君もお帰りなさい。」 「「ただいま、中尉。」」 二人の少年の声が重なった。 たった一つの拠り所といえる我が家を自らの手で失くしたとはいえ、今では「ただいま」… と言える処が2つも出来た事に嬉しいと思う気持ちと罪悪感にも似た重い気持ちが複雑に 交じり合って、その暖かい声にいつも心から応える事が出来ないでいる。 そのせいばかりではないが、ついついそういう場所から自分達を遠ざけるように旅に集中 していた…というのも過言ではなかった。 それでも、軍の要請で呼び戻されるそれ自体は、決して嫌なことでなく、特に軍人である エドワードは悪態とつきながらも出来るだけ早い便で還る努力を惜しまないでいる。 今回も同じで、リゼンブールの事件後、軍に提出する書類を簡略であるがすぐに作成し、 そのまま朝一の列車でここまで還ってきたのであった。 おかげで、積もる寝不足にもともと愛想に乏しい表情が更に険しくなっている。 「少佐、お疲れでしょう。 丁度、大佐も今は手が離せませんので少し仮眠室でお休みになられた方が宜しいかと…。」 「うむ。それでは言葉に甘えさせて貰おうか。」 アームストロング少佐もさすがに疲労の色は隠せないでいた。 長い軍生活の中、前線でそれこそ何日もの緊張感の中に晒されてきたその強靭な神経を以っ てしても、昨夜の状況はもともと正義感が人一倍強い彼にとってはかなりの消耗を強いて しまったようである。 彼はそういって、遙か下にある少年へと視線で先を促した。 それにエドワードも軽くうなずくことで応え、先に進もうと足を出したその時。 「エドワード君はちょっと待ってもらえる?」 と、柔らかな腕にぐぃっと抱きとめられてしまう。 「中尉!?」 つい積もりに積もった疲労のせいか、簡単にバランスを崩したエドワードは驚きの声を上 げて彼女を仰ぎ見た。 しかし、それに応える事のないホークアイは、次々といつもの万能な副官の実力を発揮していく。 「アルフォンス君は私の仕事を手伝って貰えるかしら? もう、手におえない雑用がいっぱいで…。」 軍人でないのにごめんなさいね…と謝る彼女に気の優しいアルフォンスは、とんでもない と笑顔で応えた。 「いえ、中尉、兄はともかく僕は軍人でもないのに色々と皆さんにお世話になっていますから。 僕が出来る事なら何でも言って下さいね。」 「そう? 助かるわ、アルフォンス君。 じゃあ、一足先に資料室の方へ行っててくれるかしら。」 場所は分かるわよね…と微笑む彼女に、アルフォンスは素直に応えると足早に去っていっ たのだった。 ホークアイはそれを変わらぬ笑顔で見送ると、腕の中でげんなりしている少年に視線をうつす。 「さて、エドワード君はこっちよ。」 そういって少年を解放すると、その背を忙しなく押して見慣れたドアの前に立たせた。 「ちゅう…いぃ…。」 嫌〜な予感がする。 「よろしくね、エドワード君。」 すると、いつもの有能さを更に倍にした程の速度で、ちゃっと扉を開けると最低限の隙間 からするりと彼を滑り込ませ、同じ勢いでパタンと閉めてしまったのだった。 「ちょっッッ!!!!!」 今は固く閉められた扉に向かってエドワードは声をあげてみるものの、彼女に逆らうなど 到底出来るはずもなく、また恐らくこの後ろにいるであろう人の八つ当たりの的になるのも、 今の状態では勘弁願いたい。 エドワードは大きく息を吐いて肩を大きく落とした。 ここはさっさと報告書を出して一件の話に持ち込んでしまおう。 そう決意をすると、思い切って振り向いた。 そこには悲しいくらい容易に想像が出来る程に当然のように山となった書類が執務机の上 に鎮座している。 エドワードはそういえばノックもせずに入った事を思い出し、その小山の向こう側にいる であろう人に近づきながら呼びかけた。 「大佐、生きてるか?」 だが、それに応える声はない。 様子を見ようにも机の上のそれらが邪魔をしてこちら側からではよく覗き見ることは出来 なかった。 「…ったく。」 いくら忙しいからって返事くらいしろよ…と喉の奥のほうで毒づきながら、エドワードは ゆっくりと回りこむ。 「大佐ーぁ!」 手にした報告書をひらひらさせながら覗き見ると、なるほど返事が無いはずである。 そこには椅子に深くもたれて眠り込んでいる男がいたのだった。 「おいおい…、仕事しろよ。」 部下達はあんなに忙しそうに動いているのにその上司様はすっかり夢の中である。 恐らくエドワード達が召還される前からこういう状態が続いていたのだろう。 もともとサボり癖はある上司だが、副官が今日に限って銃を乱射しないところを見ると余 程なのか。 「それにしても、こういう状態のコレをどうしろというんだ、中尉は…。」 まさか仕事を代わってやってやれる訳でもなく、八つ当たりの的になってやりたくとも当 の本人が寝てしまっていてはそれも適わない。 「洒落になんねぇよな…、こちとらは徹夜でコレを上げたってのによ。」 手の中で行き場を失った報告書を見ながら、エドワードは軽く肩を竦めた。 得られた情報は少ないとはいえ、全く進展を見せなかった事件ではない。 少しでも早く為になればと早々に文面化しておいたのだ。 そういえば、少佐も少し目が赤かったところを見ると彼もエドワードと同じ事をしていた らしい。 今ごろは仮眠室でゆっくりと息をついている事だろう。 「あ〜、なんか無性に腹たってきた…。」 誰が悪いと言うわけではない事はいくら寝不足で思考能力が低下したエドワードでもよく 理解ってはいるのだが、目の前で暢気に寝こけている男を見るとどうにもこうにも感情が 高ぶるのであった。 「…やることはやったし、帰るか。」 そうぼやいてエドワードは、報告書をデスクの上に放り投げる。 そして、くるりと踵を返して戻ろうとした時…。 「どこへ帰るというのだね?」 身体の基本動作で取り残された鋼の腕が何かに強く引かれた。 「な…起きてたのかよ!?」 熱は伝わらないものの、声からここの主の手だということは分かる。 エドワードは引かれた勢いで半身だけ振り返ると、上ずった声でそう応えた。 「おかえり、鋼の。」 それはちょっと違うだろう…と思いつつも、 「ん…、ああ。」 と、そっけなくだが返してしまうエドワードである。 狸寝入りかと一瞬思ったのだが、いつもよりも擦れた低い声が本当に寝入っていたのだと いうことを彼に知らせてきた。 見上げてくる視線にもどうもいつもの覇気が感じられず、エドワードは困ったように笑顔 を作ると掴んだまま離さない大きな白い手にそっと重ねる。 「…大佐?」 触れたそこからは、ざらりとした発火布の感触とともに緊張した固さが伝わってきた。 鋼の腕を掴まれたせいで分からなかったのだが、相当強い力で握られているらしい。 そういえば、つい先日…そう彼がリゼンブールに旅立つ前日も、痣がつくほど握り締めら れた事があった。 別段気にしてはいる訳ではないのだが、どうやら今度は生身の方ではない腕を掴んでくれ たので痣は避けられそうだ。 そんな事をつらつらと思い返しながら相手の返事を待っていたが一向に返ってくる様子も なくただじっとエドワードを見つめ続けているだけで…。 もともと、そういう水面下での探りあいは苦手なエドワードとしては、今の状態は困惑以 外の何物でもなく、かといって人間の感情を試行錯誤するのも苦手なのでとりあえず、話 を先に進めようと口を開いた。 「報告書は略式だけど書いておいたから。詳しくは明日、少佐と…。」 「私は何かあってからでは遅い…と、そう言わなかったかね? 鋼の…。」 擦れた上に抑えられた声がいつものロイとは違う雰囲気を醸し出す。 道化の仮面の下に隠された素顔ほど怖いものはない。 「…ああ。」 合わされた瞳は反らされる事無く、繋がった部分が引かれる事によって大幅にその距離を縮めた。 バランスを失った身体はそのまま、男の腕に委ねられしかなく…。 「鋼の。」 それ以上は少年が何も応えない事へ男の声に怒りの音が混じる。 「言える事はいうさ。何も進展がなかった訳じゃない…からな。」 刺すような視線に居心地の悪さを覚え、エドワードは大きく溜息をついた。 それは、彼の冷たい声やそれに反比例する腕の暖かさのせいではなく、重ねる嘘の圧迫感…。 しかし、それ以上続ける言葉も見つからず、場に相応しい静けさがベールをおろす。 すると、今度はそれに耐え切れなくなったかのように男が深く息をついた。 音にならなかったそれは、腕の中の少年を縛る力となっていく。 背に感じる熱と鼓動が男の向けようにない怒りと不安の大きさを鮮明に物語っていて、エ ドワードは己を縛る腕にぽんぽんとあやすように左手を重ねた。 「生きているな…。」 「ああ、生きている…。」 「……ッ。」 「え……ッッッ!!!」 耳元で囁かれた呼ばれなれぬ名と力の緩みに油断したエドワードは気がつけば強引にこち らへ振り向かせられ視界いっぱいに男の冷ややかな瞳と唇から伝わる激しい熱に囚われる。 「ん…!」 うっすらと細められた黒曜の色が大きく開かれた黄金の光を吸い込んでいった。 まるでその光の中に隠されたものを捕らえるかのように…。 それが怖くてエドワードはすぅと瞳を閉じる。 これでは男の不埒を甘受してしまうようではあるが…。 ───始末に負えない!! 他のものだと考えられない事だが、背中を預けるこの男だけは…嫌ではなかった。 しかし、まだまだ子供。 その息苦しさに耐えられず、右手が拳を固く作ったところでやっとそれから解放されたのであった。 「…ど……、エロ大佐ッッ!!」 ぜぇぜぇと…でもどこか弱々しく熱を持った息遣いの中、擦れた声でエドワードは悪態をつく。 しかし、ロイは失礼な…と笑うと、 「何かの時の人工呼吸の練習だよ。」 しれっとそう返すのだった。 「何かって何だよッッ!!! そんなもん、女とやれッッ!」 「何故だね? 当事者が目の前に居るというのに。」 くすくすと楽しげに笑うロイにこれ以上の問答は無駄だと悟ったエドワードはぷぃっと子 供らしくそっぽを向いてしまったのだった。 この程度の抱擁でまるで湯気が出そうなほど真っ赤になったエドワードの顔をロイは可笑 しくて可笑しくて仕方が無かったのだが、それ以上に今は安らぎを求めていた。 「鋼の───。」 「な、なんだよ。」 だが、それに続く言葉はなく、ロイはエドワードの小さな肩に顔を深く埋めた。 そうして、暫く静かな時間が流れる。 「大佐、疲れてんのか?」 気遣うような照れるようなそんな揺れを感じる声音に、しかし相手からの応えはなく、 その代わりに小さな背に回された腕に少し力がこもった。 それにより、ロイの顔が更にエドワードに押し付けられ嫌にでも少年の少し高めの鼓動が 男に伝わることになる。 手足や言葉では伝わらぬ暖かさも、この音だけは偽り無いものを伝えてくれる。 「──────ったく、しゃーねえな。」 疲れているのはエドワードも同じであった。 否、敵と相対していた彼の方の負担の方が大きいであろうか。 「待たせるもの」と「待つもの」。 どちらもそれぞれの互いを想い合う事による疲れがしんしんと降り積もっていく。 そしてそれは互いに触れ合うことでしか溶かされること事はなく───。 エドワードも眼前に広がる漆黒の髪にするりと左手を絡ませ、そこから伝わる熱にうっと りと瞳を細めた。 クレッシェントは見えない弦を爪弾き眠りの御手を躍らせて、いつもは賑わしいほどのこ の部屋を静けさの中へ誘っていく。 太陽が昇れば、また互いの路を歩むことになるのだ。 だから、今、この瞬間は時間の恵みに甘えよう。 しかし、嵐は目前に迫っていた。 とある小さな村。 そこにある、本来ならば迎えられた小さな幸せが悲鳴を上げて壊れていった。 不気味に輝く、錬成陣の下に────────血の宴の始まりであった。 -THE END-
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