普段は滅多に近寄らない書庫の前に立つ。

それは別に本が嫌いという訳ではなく、ロイにとってはその暇がないからであった。

ロイも錬金術…ましてや国家錬金術師を生業としているだけにあって普通の人から見れば

結構な本の虫であることには間違いない。

その証拠に、自宅とは別に書庫用の部屋を借りている程だ。

それにしても、この時期というか季節にここへ来るのは…正直彼にとっては鬼門であった。

換気だけでは間に合わない酷い湿気、それに比例するかび臭さ、そして何より…。

彼の得意とする『焔』は、紙との相性が最も良くそして最も悪い…。

既にこの時間帯、ここを利用する者などいないに等しい。

だからこそ、彼を迎えに行くなどという無謀な事が出来るのであるが…。

だが、万が一ここで襲われるというような不足な事態があるようであれば、かなり面倒な

戦い方をしなければならなくなる事は必須だ。

まあ、ロイとしては別に纏めて燃やしてしまってもよいのだが、それをすると、有能な部

下の銃の的になるどころか、最愛の人に愛想を尽かれる事になりかねない。

それだけは避けて通りたいものであった。

大きく深呼吸をして新鮮な空気を満たしてから、ドアを開ける。

その時−−−−−。

「…オマエッッ、リオールのッ!!」

閑静なはずのその部屋に似つかわしくない切羽詰った声が動かぬ空気を斬り裂いた。

その後に続く獣の唸りのような声。

リオール…。

何故ここでその名が出てくるのか?

エルリック兄弟がここ東方でとるにたらない噂だと思っていた怪物を見たという街の名前。

それは常識では考えられない、消え方をすると言っていた。

常識で考えられない消え方をするならば、その逆も然り。

まさか…有り得ない!

ここは僻地といえど、軍の内部。

敵陣の中に堂々と現れられる程、それは強いというのであろうか。

だが、理性でとやかく考えている間に身体の方が動いていた。

それは前線を切り抜けてきた軍人らしく音と気配を消し、かつ迅速なもの。

心の底から叫びたい名も喉の奥で弾かせて掻き消せるほどにこの男は有能であった。

そして、すぐに手を出すほど自惚れてもいない。

あくまで殺気を感じさせないそれに男は暫く様子を見ることにした。

私情を優先させないその行動を他の者が見ればどう評価するかは別として、結果的に彼の

行動は評価されるべきものであった。

しかし−−−。

触れてはいけない…触れられたくない領域を侵されそうになった時、我慢の限界を一気に

超えてしまう。

彼を抱いているのが怪物であろうが、なんであろうが…そこまではギリギリ踏みとどまれた。

危ういところであったが、まだ、軍人としての理性を動かすことが出来る。

だが−−−。

失くしたその部分への侵略は…。

一気に全身に焔がついた。

隠しきれなくなった激情と殺気が一気に溢れ出す。

出来うるならば、燃やし尽くしてやりたい…。

彼がその腕ではなく自分の腕の中に居るのであれば、恐らく、この男はここある古書の存

在なぞ無視してその能力を思う存分に発揮していたかもしれない。

その後の軍内部での事後処理など、なんとでも出来る自信はある。

だが、現状はそうではなかった。

そして…現在に至るのである。

恐らく初対面となる怪物に自分の最大の武器であり今に至っては致命傷とまではなりえな

いが弱点にくらいはなりうる特性を知られてはならなかった。

だからといってそれを隠せば、万が一、この怪物に優れた知能が備わっているのならば、

逆にそれは大いに知られてしまうことになりかねない。

ならば、その弱点を弱点ではないと知らしめる方が余程効果があるのではないか。

そして、弱点どころではない致命傷と成り得る存在を隠すためにも…それを効果的に利用

するべきであった。

幸いにも、ペテンにかけることは得意するところである。

両者は目を反らすことなく静かな戦いを繰り広げていた。

いつまで続くか…と思われたそれであったが、たった一つの音がそれを終わらせるきっか

けを作る。

「ん…ッッ。」

怪物の後ろで、エドワードが無意識のうちか身じろぎをした。

その証拠に今だ彼は起き上がる気配もなく、またうっかり出たという具合の先ほどの声以

後は続く様子もない。

しかし、怪物には次の行動を起すのに好機であった。

それは男が一瞬その動きに気をとられた瞬間にずるりとその身体を急速に溶かせ、床へと

溶け込んでいってしまう。

男は男で直ぐに立ち直り、一連の噂の容疑者であろうモノを逃がさないという公務と一番

隠しとおしたかった者が連れ去られないようにという私情の利害の一致により瞬時にその

距離を縮めていた。

だが、怪物は男の足元でぐずぐずという音と共に消え去ってしまう。

なんとまあ、あっけない幕切れではあった。

怪物は取り逃がしたものの、とりあえずは少年は手元に残っている。

これを捕られてしまっては手も足も出せなくなっていたところだ。

否、逆に思い切って出しまくるかもしれないが、−−−先ほどの他愛無い会話ではないが

片手を失い錬金術を使えないこの状態と現状、あの怪物が起す事件の情報の乏しさとを照

らし合わせると結果として最悪な状況になるとしか他に考えようにない。

この少年は今までも何度も誘拐やら拉致やら…と事件に巻き込まれて入るものの、その実

力と強運で生き残ってきている。

そう、先ほど、ほんの数時間前もそうだった。

だから…、だから心配ない−−−という訳では決してなかった。

その時も運良く、自分達が駆けつけた事が彼の命を救っている。

この少年は、自分の−−−国家錬金術師の命と引き換えに弟に手を出さない事を傷の男に

約束させたのだ。

その光景を車の窓越しに捉え、理性が一瞬にして吹き飛んだ。

怒りに任せて飛び出そうとしたところをハボック少尉に抑えられなければ、何より、その

心情を読み取ってか上司より素早く行動を起したホークアイ中尉がいなければ、何をして

いたか自分でも想像が出来ない。

「無能なんですからッッ、大人しく下がっていてください!」

一見上司を侮辱する言葉だが、それは彼を冷静にさせるには実に効果的なものであった。

国家錬金術師のみを狙う傷の男にとっては、実にありがたい状況ではある。

この狭い中に対象となる人物が3人。

うち一人は二つ銘の象徴ともいえる右腕を破壊され錬金術は使えず、もう一人もまた、雨

という最悪の気象条件のせいで二つ銘の象徴である錬金術が使えない。

たった一人、豪腕の錬金術師という二つ銘を持つアームストロング少佐のみがその手腕を

惜しみなく発揮出来る状態であった。

しかし、その他に彼を取り囲む軍人が多数いる。

傷の男は既に錬金術師ではない憲兵を殺害しており、エドワードに宣言した通り、彼の邪

魔をする者は例えそれが国家錬金術師ではなくとも迷わず手にかける事を立証していたの

であった。

それにそれだけの人数に囲まれても、この男には勝算はあった。

それはエルリック兄弟…それも特に弟の方である。

兄との約束は、彼の命とを引き換えに弟には手を出さないということであった。

実際、今の時点でまだ兄である鋼の錬金術師は生きている。

故にこの契約は無効であり、彼はその俊敏な速力を活かして弟に近寄り鎧全てを破壊して

そのまま逃亡する事も不可能ではない。

だが、男はそうはしなかった。

たった一つを守るために跪く兄とその兄を庇う為に無駄と判りつつも声を荒げ慈悲を請う弟。

そこにこの男は何を見たのか−−−。

傷の男は分が悪いと一笑すると、地面に穴を開けて迷路のように張り巡らされている下水道

を通って逃げてしまった。

もちろん、軍としてはその追跡を今も行ってはいるが、中央(セントラル)でも不可能であっ

たということは恐らくここでもそう簡単には捕まってはくれないであろう。

「エド…。」

ロイは普段は決して呼ばない少年のファーストネームを口にする。

そしてゆっくりと跪くと青白い顔で冷たい床に寝転ぶ少年を抱き上げた。

片腕がないせいか、身体が妙に傾くのをしっかりと自分の方へと引き寄せる。

どうして、こう次から次へと事件に巻き込まれるのだか…。

それも自分の管轄内で…庇護下にあるにもかかわらずだ。

−−−もっと強い力を! 権力を!

守るべき者を失いそうになる度にその欲望は募るばかりで…。

それが悲しいかな、最愛の人に誤解されているのが辛いところではあるのだが、それはそれ

でロイにとっては動きやすい事この上なかったのだった。

「まったく、縛り付けておけるものならそうしたいところなのだが…ね。」

軍の狗という鎖をつけても、この少年は目的を果たすまで自由に飛び回ることだろう。

そしてそれ以後はその鎖を引き千切って、彼の手の届かないところへ行ってしまうのだろうか。

それが遠からずやって来る事を想像するのは容易いこと。

しかし、彼らがやろうとしている事はそんなに容易いことではない。

ひょっとしたら一生…不可能な事なのかもしれないのだ。

そんな今考えてもどうしようもない想いにどっぷりと耽っていると、腕の中で小さな身体

が跳ねるように身じろぎ、突然ぱちりとその大きな黄金の瞳が色を現した。

「やあ、鋼の。」

男は勤めて平静を装う。

「ッ!!  −−−た…い……さ?」

予想もしていなかった状況に予想もしていなかった人物の顔が現れ、明らかにエドワード

は動揺していた。

忙しなく瞳が左右に揺れる。

なんとか今の状況を確認しているのだろう。

そして、全ての思考力を持って目の前の男をどう誤魔化そうかと考えている。

それが徐に表情に出るのだから、まだまだ子供といわれても仕方が無い。

「あ……、お…オレ、ひょっとして寝てた?」

やがて出てきた言葉がまさしく子供らしいそれだったので男は笑いをかみ殺すのに必死に

ならざる終えなかった。

「ああ、もうそれはスヤスヤとな。」

しかしそれが良いペテンになったのか、エドワードは上手く誤魔化せたと思ったらしい。

「どさくさに紛れて何やってんだよ、このエロ大佐ッッ!」

安堵したのだろうか、そのままいつもの少年に戻っていく。

唯一自由になる左腕を突っぱねてこの恥ずかしい状況から離れようとするのだが、片腕が

ない状態では抗うことなど到底できなかった。

「おやおや、私は執務室で待っているように言ったはずだが、鋼の。」

言いつけを守れないとはまだまだ子供だなと嘲笑う男にエドワードは本気でつっかかる。

「子供扱いすんなッッ!」

「そういうムキになるところがまだ子供だと言うのだよ。」

「無能のくせにッッ!」

「無能で口の悪いくそ生意気な豆が何を言う…。」

「キィーーーッッ、豆って言うな!」

「私が言ったんじゃない。もともとはヒューズだ。」

「ちゅう〜〜さぁ〜〜〜〜〜ッッ!!!!!」

どうやらこれでエドワードの怒りが再燃したようでこのまま手を離せばロイの執務室へ取っ

て返して先刻、執務室で繰り広げた「錬金術の使えないエドワードは?」の再現となりか

ねない。

「まあ、それは今度でいいからいい加減ここを出ないと外で車を用意して待機しているハ

 ボックに悪い。」

「んあ? 少尉が?」

「ああ。」

「ん〜、アルにもう一回会うつもりだったんだけど…仕方ないか。」

仕事とはいえ少尉に悪いもんな…と溜息をつくと、緩んだ腕からするりと滑り降り散らか

した本を綺麗に戻し始めた。

片手であったが器用にもその速度は速く、そう待たずにして床に小山になっていた本は、

整然と元の位置へ納まる。

が、その最後の1冊の時…。

「その指輪…、何故している?」

本棚にかけようとしていた手をロイが掴みとった。

余りにも突然で予想もしていなかった事であったので、エドワードも直ぐに返す言葉がな

く、ぽかんと相手を見やることしか出来ないでいる。

その態度が悪かったのか、相手の厳しい眼差しが更に険しいものへと変貌した。

「確かさっきもそれについて何か探ろうとしていたな。」

「…ッ、さ…探るって人聞きの悪い言い方だなッ。」

あの時、冗談で話の腰を折ったのはロイの方だ。

その後一応これの事は知らないとフォローをしてくれたものの、エドワードもそれ以上の

探りは居れず、すんなりと手を引いたのだった。

それを怪しまれたか…。

あの時、ヒューズ中佐が運良く話を反らしてしまったのでそれに便乗したのだが、逆にそ

れでこちらが探られてしまったようだ。

エドワードは己の失態に心の中で大きく舌打ちをした。

「一体どこで手に入れた?」

「………。」

ロイの追求は厳しい。

しかし、エドワードも今は話すつもりはない。

第一、話せと言われても話す内容などほとんど無いに等しいからだ。

不確定すぎる内容をこれ以上話して混乱させるのは今の互いの現状を考えるととても好ま

しい事とは言えない。

「鋼の!」

「…………。」

捉まれた腕が軋みを上げる。

恐らく、ロイも無意識に締め上げているのだろう。

きつい締め上げのせいで、とうとう、掴んでいた本がばさりと床へ落ちてしまった。

だが、両者ともそれに気づく気配は見せず互いに睨みあったままである。

こういう時のエドワードはその心までも二つ銘の「鋼」になってしまい、それを溶かして

でも真実を手に入れようとするロイの追求はまさしく二つ銘の「焔」であった。

だが、それもそう長くは続かずエドワードがにやりと笑うとこう言ってのけることで空気

が動き始める。

「大佐の元カノ。」

「何ィッッ!?」

「って言ったら慌てるよな〜、心当たりありすぎて♪」

「鋼の…。私は今冗談のやりとりをする程余裕がある訳ではないぞ。」

先刻の怪物の件もある。

エドワードは上手く騙せたと思っているようだが、ロイにとっては不審な者や物は今は出

来るだけ彼から遠ざけて置きたかった。

「わかってるって。だけど、オレも言うつもりはない。」

そして、

「今のところは…な。」

と、エドワードは小さな声で付け足した。

「だったら、その内説明してくれるのだろうな。」

「ああ、約束する…。」

「何度も言うようだが、何かあってから…では遅いのだぞ!」

「んああ、ん〜、努力する…、うん。」

多分…と、どんどんと自信のない返事を繰り返す少年にロイは大きく溜息をつく。

すると気が緩んだせいか、掴んでいた手から小さな腕がするりと抜け落ちて行った。

この子供はどうしてこうなのだか…。

独りで背負うことに慣れすぎた、悲しい子供。

だが、これ以上追い込むのはまだ得策ではない。

「言っておくがこれ以上君の始末書の責任は負えないからな。」

「ああ! それが上司の仕事ってもんだろッッ!!!!!」

「それは上司のためになる部下が振りかざす権利だ。」

「横暴だッッ! 差別だッッ!」

どっちが…と思うロイであったが、落ちたまま忘れ去られていた本を少し屈んで掴み上げ

ると一冊分律儀に空いた隙間にするりと滑り込ませた。

そして、だらりと下がった少年の手を再び、今度は優しく掴み上げると手首に淡くついた

赤い環に僅かに眉をひそめた。

「すまない、痛かっただろう。」

「いや、気にすんな。別に怪我をさせられた訳でもねぇし、朝には消えるさ。」

「しかしだな…。その位置に指輪…というのはどうかと思うが…。」

「なんだ? 何かあんのか?」

「まさかとは思ったが…知らないのか、鋼のは…。」

「? 知るも知らないもアルがつけてくれたから…。」

「何ッ? アルフォンスが!?」

「ああ。何か問題があるのか?」

問題があるもないも……大アリだと、ロイは心の中で盛大に叫んだ。

「フッ、後でアルフォンスには充分言い聞かせんといかんな。」

「?」

エドワード…。

その位置に指輪をするということは、既婚者だと言う意味だ。

更に、つけてもらうということは、その相手が伴侶という事になる。

さすがのロイも弟相手に嫉妬の焔を全力でぶつける事はしないのだが、どうしても抑えき

れないそれを子供のやったままごと程度の事だと全身全霊で燻る焔を消化しようとしてい

たのであった。








-THE END-






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2004.11.23+++ amane

「赤きエリクシルの悪魔」〜タッカー邸の怪より

実際、慌しくリゼンブールに移動する兄弟。
というか、少佐に強制的に移動させられる兄弟?
なので曲解の世界だけでもいちゃいちゃして欲しかったのに、
全然ダメじゃん!( ̄∇ ̄ ;)
ちなみに、タッカー一家はゲームの中では写真でしか登場しません(>_<)
更に、原作やアニメとは設定が違います。
原作・アニメではタッカー邸は中央にありましたが、ゲームでは東方にあるようです。
この話はゲームベースで書いているので、タッカー邸も東方にあるという設定にしてますので、悪しからず(^_^;)








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