| おにいちゃんは、ぼくのこと、すき? あん? 当たり前だろ。 フレーネおねえちゃんよりも? ああ。もちろん。 ほんとうに? 本当だよ。 じゃあ、どれくらい? どれくらいって…。 ねえ、どれくらい? そうだな…。 もし離れ離れになっても…姿かたちが変わっても、見つけてやるよ。 そう──────例えそれが時空を超える事になっても───。 ──────クレヴァニール。 ∞ -infinity- やっと逢えたと…見つけられたと思った。 生きている事がわかっただけで、それだけで嬉しかった。 半ば強引に引き離されて、別々に封印されてからどれくらい経っただろう。 あの時の事はまるで昨日のように思い出される。 しかし、自分とは違い待ち望んでいた人の記憶は───無きに等しいものだった。 どうやら、名前だけは覚えていたようだが、それ以外、自分達の存在の意味、そしてずっ と一緒にいたことでさえも時間の彼方へ忘れ去られてきたようであった。 果たして記憶という形のないものが根付くにはまだ幼すぎたのか。 それともフレーネと同じ様に再生の際に不手際が生じたのか。 だが、彼の再生を知る者はもうこの世には誰もいない。 そう────当事者である彼、クレヴァニール以外には─────。 「…。」 ブリュンティールは、記憶の一つ一つを思い返しながら今の自分を計りかねていた。 弟が、最愛の弟が、自分のことでさえ忘れてしまった事にどこかホッとしている。 そう、俄かに信じられない事だが、…偽りない事実。 そして、このまま思い出さなくても良い…と否、思い出すなと切に願うのだった。 それが、弟にとっての幸せだろうと、そう…根拠もなく確信している。 しかし──────、辛い。 突き放すことが、この手に抱きしめることが出来ない事がこれほどに辛い。 激情と衝動に任せるままに出来ればどれほど楽だろうか。 きっと自分が名を明かし、残された記憶の一つ一つを語り尽くせば彼も思い出すかもしれない。 だが、それは出来なかった、出来ない相談であった。 クレヴァニールを守るために、それだけは…絶対にしてはならない。 もし、今知ってしまえば、きっと彼は失われるだろう…。 これもまた根拠は無いのだが、そんな形の無い不安がずっしりとブリュンティールの心に ずっとのしかかっていたのだった。 そう…、そう願っていたはずなのに─────。 その為に、敵役も買ったはずであるのに、─────この世には「神」はいないのか? 願いは届けられなかった。 最後の天使とともに、自分の消滅をも感じながら、ブリュンティールは最愛の弟に手を差 し伸べる。 「…クレヴァニール、最愛の……、弟……よ。」 今はまだ無理だとしても、恐らくあの日記を手にすれば全てを思い出すだろう。 あの時交わした約束も、───きっと。 「───────お兄ちゃん?」 死に際に過去が走馬灯のように見えるとはこの事だろうか? 今では決して聞けない、もっとも聞きたかったそれが耳元を悪戯のように掠めていった。 いや……違う。 すっかり擦れた視界の中で、黒く縁取られた唇がはっきりとその形を模って行った。 そう、何度も、何度も──────。 ああ、大丈夫だよ、クレヴァニール…、そんな顔をするな。 必ず、迎えに行くから…、あの時に交わした約束───時空を超えても、必ず…。 だから、たった一つの我儘を聞いて欲しい。 その時まで、俺を忘れないでいてくれ。 その瞬間、自身の全てが闇に包まれた。 伝えきれただろうか…? しかし、それを確認する術はもうない。 「死」とは、そういうものであったのだった。 そして、時は流れ──────。 世界から闇が消えた。 何千年もの攻防のあげく、やっと光がそれに勝ることが出来たのであった。 一体、どれだけの犠牲の上に築かれたのだろうか? 時空に並ぶたくさんの可能性の時代のうちから選び出されたこの世界は、これでやっと束 の間の平穏を手に入れることだろう。 そう、恐らく、それはほんの束の間───。 愚かにもまた、人々は失くしたものを求め彷徨い歩くのだ。 自分達の過ちに気づかぬまま、それは永久に繰り返されていく。 そして、再び新たな犠牲の元に平和が訪れるのだ。 耳を劈く機械音と世界中に散らばるマナが集積するパワーで吹き上げられる砂塵がクレヴァ ニールの全身を打つ。 しかし、その痛みを感じることは幸いにも彼にはもう既に不可能であった。 集積されたマナは次々と中和され消滅し、そのマナの力で命を維持してきた魔生物達もま たそれと同じ道を辿るのが宿命。 「マスター、ありがとう。」 そう言って一足先に、クレヴァニールの使い魔が消え行くマナと一緒にその姿を消していった。 そして、彼も──────。 身体の末端から溶けるように肉体が崩壊していく。 やはり、天使の遺伝子を宿した彼の肉体はマナの消滅に耐えられなかったのだった。 「クレヴァニール!」 フレーネの呼ぶ声が聞こえる。 希望の遺跡であの日記を手にした時、断片的だが2000年前の記憶を思い出したのだった。 フレーネには告げなかったが、兄のブリュンティールと、あの頃は随分と年上であった彼 女と過ごした研究所での日々。 適性検査と称されて受けつづけた拷問と変わらない実験の毎日。 それでも耐えられたのは、兄がいつも傍らで彼を抱いていてくれたからだった。 兄自身もその苦痛は同じであったろうに、常に弟であるクレヴァニールを気遣ってくれて いた。 時には、二人で子供らしく悪戯もしてフレーネを困らせたこともある。 笑い、怒り、泣いて─────あんな中だからこそ普通の兄弟以上の絆を築いていた。 それなのに…時間は無情にも、クレヴァニールからその記憶を奪い去ってしまった。 兄も…今になって思えば理由は分かるのだが、冷たく自分の事をあしらっていたから、余 計に気づくのが遅れてしまい…、ほんわかと蘇った頃にはもう取り返しのつかない事態に なっていたのである。 「兄さん…。」 手足を失っても声は出た。 しかしそう呼びかけてみたものの、なんだかそれに微妙な違和感を感じ、クレヴァニール は少し呼び方を変えてみた。 「ブリュンティール…。」 どうやらこっちの方がしっくりと馴染んだようだ。 その時、聞き慣れた少女の声が空間を引き裂く。 「お願いっっ! 連れて行かないでっっ!!」 泣き叫ぶその声にきっと応えなければいけなかったのだろうが、今のクレヴァニールはど うしてもその気が起こらなかった。 「ごめん、フレーネ…。」 完全に記憶が蘇らない彼女の傍に居てあげたかったけれど───。 「クレヴァニールを連れて行かないでっっ!」 ─────────ブリュンッッ!! 血を吐くように叫びつづける彼女の声にクレヴァニールは目を見開いた。 すると、黄金の瞳の中にはもう一つの黄金の瞳が映し出される。 それは漆黒の髪の間からほんのりと光を零し彼を優しく包んでいったのだった。 「クレヴァニール…。約束どおり迎えに来たぞ。」 「…兄さん、……ブリュンティール?」 気が付けば、もう頭くらいしか残っていないクレヴァニールをブリュンティールの逞しい 腕がそっと抱き寄せたのだった。 「よく頑張ったな。」 2000年前のあの時と同じ様に、否、それ以上に愛しげにその腕はクレヴァニールを抱 擁した。 クレヴァニールもそっと彼に腕を回そうとして、ふと、もう自分の身体がないことに気づ き、思わず苦笑いが込み上げる。 しかし、頭の中ではしっかりと彼の…記憶にある髪と同じ色の漆黒のシャツをぎゅっと掴 んでいる感触があった。 生前は一度も、否、最後の…ブリュンティールが消滅するあの一度だけでしか知らないそ の感触。 だが、目で確かめたくとも、クレヴァニールの視界は今、漆黒の髪とシャツに覆われてい てその術はなかったのだった。 「クレヴァニール…。」 「…ブリュンティール、本当に?」 「ああ。俺が約束を守らなかった事などなかっただろう?」 そう甘く囁く声音にクレヴァニールは何度も何度も頷いた。 「必ず、迎えに行くから───。」 二度の別れの間際に告げられた約束はどちらも破られることはなかった。 クレヴァニールは、嬉しさと安堵にゆっくりと瞼を閉じる。 …そう、閉じる瞼があったかどうかはあやしいものだが、最後に黄金の瞳が涙の雫のよう に優しく光るとふわっとその存在をかき消したのであった。 それと共に激しく巻き上げていた砂塵もゆっくりと終息に向かっていく。 残されたのは、絶望に頭を抱え意識を失ったフレーネと忘れ去られたように置き去りにさ れたブレスレットという現代の儚い絆の証だけであった。 「どれくらいすき?」 時空を超えてでも逢いに行くほどに。 そう、アキエルとユリエルような悲劇は演じたくない。 クレヴァニール──────────。 ずっと、永遠に。 「愛している…。」 -THE END- |
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